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鞄屋
手記「鞄屋」
20世紀後半:日本のバッグ・鞄業界
by
HONDA-BAGS PROJECT :本田洋一

手記「鞄屋」その3


私の失敗体験

 80年代後半、私の勤めていたSS社が紳士鞄ショップの新業態店をつくることになった際、私はそのプロジェクトにも参加した。従来の“鞄屋”から“メンズバッグショップ”に進化したファッション対応化した店をつくることが目的であった。
 様々な検討を重ね、商品アイテムを“バッグ”だけに限定せず“メンズシューズ”やメンズ雑貨“を加え高感度(おしゃれに敏感といった意味)・高品質を重視し、メイン客層をヤングアダルトに絞り込んだ店をつくることになった。
 ファッション対応ということで店舗設計もシンプルでビジュアルなイメージを強調し、旬のインポートバッグとシューズ、希少価値のあるライセンスブランドやキャラクターブランドを厳選した。当然のことながら販売スタッフもファッション好きでセンスの良い若手から人選した。
その第1号店は大阪のなんばにオープンし、開店直後から好調な反応で期待以上の成功となった。その後、渋谷のファッションビル内に第2号店をオープンさせ、名古屋、新潟、池袋、その後遅れて静岡、広島、福岡、熊本、小倉等にも次々と出店拡大を続けてゆくこととなる。
 しかし、名古屋以西の地区では好調に推移するものの、名古屋から東の店舗はなかなか黒字にならず苦戦を続けるという結果が出てきた。私が担当した渋谷、池袋の店も評判の割には売上実績が伸びなかった。好調な関西地区の担当上司が直接テコ入れも図ったが成果は現れなかった。結局レディースの店に変更したり閉店することとなった。この経験は私にとって初めての痛い失敗体験であったとともに大きな教訓であった。
 地区によって商品や販売力に多少の違いはあったが、同じコンセプトの店舗にこれほどまで地域格差が生じるとは思わなかった。確かに関東と関西の風土や人の考え方の違いも分かっていたつもりだったが、バッグ・鞄という小売店商売とはコンビニやフランチャイズショップのような金太郎飴のような形態は通用しにくく、立地条件や客層によって大きく内容が違ってくるものだとつくづく考えさせられた。

小売店の出店政策について

 小売店の出店には“提案コンセプト型ショップ”と“地域密着型ショップ”の2つのタイプがある。前者は店の個性を提案することによって新しい客層を生み出し次の発展に繋がることもあるが、ヨミが外れた場合は失敗の可能性も高い。後者は客層さえヨミ違えなければ手堅い商売となるが、ヘタするとありきたりの店になってしまうこともある。結論としては、一つの店の中で提案型の部分と地域密着型の部分をバランス良く保つことが大切であるということが分かった。
 一般的には都会型で人の流れが多く早い立地では提案型の割合を高めたコンセプトショップの方が成功率が高い。逆に郊外店や地方都市の場合は地域密着型の部分を優先しながら提案製を打ち出した方が軌道に乗りやすいようだ。時には強烈なコンセプトで提案型にすることも必要だし、時には地域の客層に合わせてゆくことも大切である。その判断が非常に難しいのである。
 外資系のSPA型アパレルショップはイメージの良い個性的な提案をおこないながらもファッションテイストと価格帯はマスの客層に合わせることによってバランスをとり出店を成功させている。実に賢い方法である(ユニクロも同様であるが)。
 そのようなことをこの失敗によって学ぶことができた。その後、千葉の大型ショピングセンター内に新しいメンズバッグショップをオープンする時にはその教訓を生かし、客層を徹底的に分析してから店のコンセプトづくりをおこなった。店舗設計もシンプルでビジュアルなものではなく機能性を重視したものとした。その結果、業績も初年度から黒字が出ることとなった。もちろん販売スタッフの努力もあってのことではあるが。

 失敗体験は他にも沢山あった。同じショッピングセンター内に同業他店がある場合、同じメーカーの商品がバッティングすることがある。ケースバイケースで取り扱いができたりできなかったりと様々な制約が生じる。自店に有利になるようにするためにはメーカー問屋との駆け引きが必要になる。このメーカーなら大丈夫であろうと油断していたら、一歩商談が遅かったため同業他店に先を越されてしまったこともある。また、現場の営業担当者には話がついていたにもかかわらず、その上の上司の判断で止められてしまったということもあった(もちろんその逆もあったが)。さらにバッグ業界の同業店ではなくアパレルや雑貨店等の他業種の店に入ってしまったため、予定していた商品が入らなくなるという、とんでもない伏兵が現れたこともあった。色々な苦い思いもしたがそれらも経験して初めて分かる教訓だった。
 また、売れると思って仕入れした商品が売れない場合は多々あるが、売れないと判断して取り扱いをやめた商品が、その後急に売れ始めた時の悔しさと情けなさも経験しなくては分からない失敗のひとつであった。

今だから書けること

 話を戻して今だから書けることを少し書いておきたいと思う。今から約20数年前、私は池袋S百貨店内にあった小さな鞄屋を3年間経験した後、同じS百貨店の船橋店が増床リニューアルをおこなった際そこにも鞄の店を出すことになり転勤することになった。初めて新店オープンに係わる経験することになった。26歳の時だった。
 オープン時の商品計画、商品の仕入れ、備品の手配、商品の搬入・レイアウト・ディスプレー等々ほとんど一人で準備しなくてはならなかった。若かったので何ら苦にはならなかったがオープン前後2ヶ月間はほとんど休まずに働いた。新店オープンの経験はその後何度もあったが、初めてこの時、市場調査、客層の分析それに合った店のコンセプトづくり、品揃え、同業他店との差別化等々といった所謂“マーケティング”ということを勉強することができた。それまでは店の販売スタッフとしての仕事だけであったが、商売というものをシステム的な視点で考えられるようになったのはこの時からであった。
 そして、順調にその店もスタートすることができた。その後3年間は予算ペース以上の売上げを維持し続けることができ業績に関しては申し分のない成果となった。やがて販売主任・店長に昇格することもできた。もちろんこれはS百貨店のおかげでもあるが、自分が企てた店作りが成功した体験は非常に貴重なものであった。
 そのS百貨店は郊外店という立地だったので慣れてくると土日以外はそれほど忙しく、平日は時間を持て余すことも多かった。そんな時は什器の陰に隠れてフアッション雑誌や流通関係の本を読んで勉強することができた。また都心店とは違い百貨店の社員やメーカーの派遣社員や営業関係の人たちとも家族的な付き合い多く、毎日楽しく過ごすことができた。そこで知り合った方とは、その後も色々な機会で顔を合わせることになり人脈を拡げる面でも役にたった。
 それから3年後、今度は池袋の店が改装することになり再び戻ることになったしまった。場所も以前の場所から移動し売り場面積も2倍以上になった。当然お客様の流れも段違いに良くなり売上げ規模も大幅に上がった。だが、以前と同様に社員が2名しかいなかったため毎日てんてこ舞いの忙しさが続くこととなった。食事休憩もままならず、内1名が休みをとると夕方の繁忙時間帯には完全にお手上げ状態になることも多かった。
 そこで、私が勤めるSS社の上司に社員かアルバイト・パート社員の増員をお願いしたがなかなか聞き入れてもらえず、私もついに頭にきてしまった。働く私たちが大変ということもあるが、お客様に対しても待たせたり、じっくり接客してあげられないという不都合が生じることにどうしようもない憤りを感じたのだった。その時、会社というものは人員効率・利益を優先していることに初めて気づいた。
 そこで作戦を変え「忙しいから社員を増やして欲しい」ではなく「販売員不足で売上げに機会損失が発生している」と訴えたところ簡単に受け入れられてしまった。実に単純なことであった会社側との交渉術の基本的なことをこの時に学ぶことができた。そして、パート社員が2名増えることとなった。
 販売員の増員にもかかわらず、売上げは伸び続け日々の忙しさも相変わらずだった。充実していたとは言え、毎日独楽鼠のように働いた気がする。そして、気がついたらその店はSS社の中でも上位の売上げ規模になってしまっていた。人員効率では常にトップであり月によっては売上げでも全国一番になることもあった。

 私も30歳になろうとしていた。仕事は充実しており業績も好調ではあったが、ふと我に帰ると、このままでいいのだろうかという疑問が浮かび始めた。鞄のプロ販売員として鞄屋の店長としての達成感はあったが、次の目標が欲しくなってきたのだった。そんな時、愛読書のひとつであった船井幸雄氏の会社(当時、日本マーケティングセンター、後の船井総研)が社員を募集していることを知った。
 船井幸雄氏は流通業界では最も有名な経営コンサルタントであるが、私はその頃から著書のほとんどを読み込み仕事で活用実践をしていた。そして、人生の師であると一人勝ってに思っていた。そこでSS社に辞表を出すとともに日本マーケティングセンターに履歴書を送った。
 書類選考一次試験をパスし東京地区の責任者との二次試験も受かり、最後に船井幸雄氏直々の面接を受ける運びとなった。大阪の本社に行く(SS社の本社が斜め真向かいにあったのでお忍び気分であったが)と、はじめに嘘発見機のようなコイルを腕につけられ様々な質問に即時答えなくてならない心理テスト受けさせられた。まずそれには非常に戸惑った。そして、船井幸雄氏の面接では完全にアガッてしまい、何がなんだか分からないまま終わってしまった。結局は不合格であった。小柄なおっさんという第一印象であったが、憧れの船井幸雄氏に対面できただけでも本当に良かったと思っている。
 一方、私の辞表は一時預かりとなっていた。結局、転職が不成功に終わったため、SS社の仕事をそのまま続けることになった。そして、店を離れ商品部の商品開発担当に転属させられることとなった(辞表を出したことが切掛けではあったが)。今思えば、まだまだ能力的にも未熟だったので船井総研に入れたとしても通用して続いたかどうかは分からない。むしろその後、商品部で商品開発を通し鞄の仕事にますます興味を覚えるようになっていった。またバッグ業界での人脈もさらに拡がり多くの掛け替えのない方に出会うことになるのでそれで良かったと思っている。
船井幸雄氏の人生哲学のひとつに“過去オール善”というのがある。「過去の経験は全て必要だから起きたもので、何ひとつ無駄なことはないと考えることが大切である」ということであるが、本当にそう思う。今でも船井幸雄氏の本は新刊書が出るたびに読み続けているが、私の成長と共に(それ以上ではあるが)氏もどんどん成長しておられ経営コンサルタント以上の人物であると感じている。最近は資本主義が軟着陸で終焉し“競争”から“共生”の時代へ向かうことを提言されているが、私もそのようになると期待している。

その後の経歴

30歳から約10数年間、SS社の商品部において鞄の仕入れ・オリジナル商品の企画・海外からの輸入等を担当し非常に楽しく充実した日々をおくることができた。90年代に入ってからは一層多店舗化が進み、S百貨店の全国各店舗の中に紳士鞄専門のショップを出店し北は旭川から西は高知まで10数店舗の規模となっていた。それ以外にもショピングセンターや空港の中にも出店しており規模的にもバッグ業界ではかなり目立つ存在の中で仕事をすることができた。
 それら20数店舗を統括するために、本格的に“チェーンオペレーション・システム”を取り入れることなった。これがなかなか大変な仕事だった。チェーンオペレーション・システムとはアメリカで発達した合理的な商品仕入れ展開手法である。様々なデーターを基にして売上効率を上げる商品構成を図るもので、主にコンビニやスーパーやチェーンストアで活用されている。SS社はチェーンストアであったが、実情としては各店の店長の仕入れ権限が強く、その店のコンセプトに基づき商品構成を組むことが建前とはなっているが、コンセプト自体が抽象的であるため各店長の認識も統一されておらず、もちろん地域格差の問題もあり、ハッキリ言って各店がバラバラの仕入れ形態となっていた。
 これらを共通で管理するためにはコンピューターによるPOS管理システムが不可欠である。やっとSS社にもPOSシステムが整備されたところだったので、試験的にチェーンオペレーション・システムを実施していくこととなった。半期ごとに長期・短期の商品展開を決めることから始め、全店統一商品と各店個別の地域密着商品を本部でコントロールしていった。しかし、初めての試みであったために軌道に乗るまでに様々な問題も発生した。地域格差があることも大きな問題点の一つではあったが、一番の問題点はベテラン店長クラスの意識変革であったと言える。仕入れ権限が自由であったため、本部の方針に反発することが度々あり、根気強くこれからの方向性を説得することにより何とか形になっていった。
 しかしながら、私はチェーンオペレーション・システムが決して良いシステムとは考えられない点も多いと思っていた。確かに管理する側から見れば好都合のシステムではあるが、現場やお客様の立場から見れば決して満足いくものではないと思っていた。本部主導の部分と現場主導の部分の割合が明確であり、その責任分担も明確でなくてはならないと思えたが、そのバランスが本当に難しいと痛切に感じていた。販売の現場の人たちがやる気を起こすには全ての権限を与えることが一番であるが、任せきりであると全店的な動きがとれなくなる。この調整機能を明確にする方程式のようなものを確立することがすべてのチャーンストアの最も重要なポイントであり課題であると言えよう。


バッグ業界の現状と今後

 バッグの小売分門で一番大きな売上げ規模を誇るのはもちろん百貨店である。ブランド商品(ライセンスブランドが主)を主力商品とし、トレンドキャラクター商品から高額ベーシック商品までをしっかり固め、それらの中で人気の落ちたものは次々と入れ替え、坪効率追求型の商法を展開している。大手のバッグメーカー問屋にとっては最も重要なお得意様であり業界のバロメーター的な役割を果たしている。だが、最近はその優位性にもやや陰りが見えつつある。その原因のひとつには、最近の人気ブランドがアパレルメーカーのSPAブランドに変わってきており、従来のバッグ問屋だけでは売場づくりが難しくなってきていることも上げられる。さらにバッグ売場以外の売場においてもバッグの展開が拡散されてきており、同一百貨店内においてもバッグ市場の競合が起こっていることも一因となっている。また、皮革以外のナイロン等の新素材の台頭により平均単価が急激に下がり全体の売上げに大きく響いている。
 紳士および旅行鞄売場も同様で、次の人気ブランドや成長商品が見つからず相当の苦戦が続いている。ここ2、3年百貨店のバッグ・鞄売場は縮小および上階層への移転が目立ってきた。
次に量販店であるが、イメージ的には百貨店に近づきつつある店もある(新規オープン時やリニューアル時は良くても段々下がってくるのが常である)が、やはり必然的にボリュームラインが主力商品のため、取り扱いライセンスブランドも百貨店よりかなりランクが落ちる。売場づくりも接客販売のレベルも今ひとつで百貨店との格差は歴然としている(百貨店にはメーカーよりの派遣店員がいるため辛うじて接客レベルを保っている)。そのためバッグ専門店をテナントとして入れ、自社売場との相乗効果を図っているところも多い。
 さらに、ディスカウントショップも並行輸入の有名ブランド品と低価格の両面展開でそれなりの売上げ規模を持っているが、中間層の商品群がポッカリ抜けているため奥行きに欠けており、偏ったお客様の支持に留まっている。
 さて、最後にバッグ専門店に関してだが、一口にバッグ専門店と云ってもいくつかの形態がある。@チェーン型専門店(全国展開型と地域展開型がある。)A個人専門店(バッグ
専業型とバッグ以外のアイテムとの複業型がある。)BSPA型専門店(製造小売を一貫しておこなうスタイル。本来SPAはアパレル業界の専門用語だが、あらゆる業種で使用されるようになった。)の3つに大きく分けられる。
 売上げ規模的にはチェーン型専門店が大きなシェアを占めている。わずか十社ほどで全国の主要ショピングモール、駅ビル、ファッションビル等に出店している(推定で600〜700店舗)。スクラップ&ビルド戦略と新業態開発戦略で最も活発な動きをしているが、このところ同業店との競争のみならず、他業種(アパレル、靴、雑貨、文具、スポーツ業界等)からの参入でかなりの苦戦に追い込まれてきている。特にチェーン型専門店はごく一部を除いて、看板がなければどこがどこの店か判らない程、同一化均一化していると、すでに10数年前から言われ続けているが、やはり個性のない店は消費者から見ても魅力不足になっていると言えよう。
 当然、数的には個人専門店が一番多い。地域一番店(地方都市には多い)は百貨店やチェーン型専門店に対してイメージ的にも商品力でも負けないで頑張っているが、地域一番店以外は後継者に恵まれない限り衰退化は避けられず、細々と商売をしている店がほとんどである。
 そして、SPA型専門店はここ数年非常に目立つ存在となってきている。昔からある店としてはメーカー問屋からスタートしたSZ社、工房からスタートしたIB社、小売店からスタートしたKM社等がある。近年ではHP社、ST社、AP社、HM社等々が急激に頭角を伸ばしてきている。今後もメーカーの小売進出の波が始まり一層増えてくると予想される。今のところ各社の個性は明確であるが(?)、商品ネームを外したら、どれがどこの商品か分らなくなるような商品づくりには走らないで欲しいものである。
 さて、今や外資系の有名ブランドショップの国内進出も目立ち、他業界からの新参入も活発でバッグ業界全体はどうなってゆくのかまったく混沌としてきている。バッグというアイテムの市場はマクロ的に見たら拡大しているのかも知れないが、様々な業界、業種に分散されてきているため、売上げ統計も把握しにくくなってきている。今後、バッグ市場(バッグのマーケット)という表現はあっても、バッグ業界という表現はますます影が薄くなってくる気がする。もはやバッグ業界という発想自体が無意味になっていると言っても過言ではないのかも知れない。筆者としては寂しい限りではあるが、バッグ業界発想を捨てない限りバッグ業界は生き残れないのではないだろうか。

 吉田拓郎の昔の歌に「新しい海に、新しい船を動かせるのは新しい水夫だろう、古い水夫は知っているのさ、新しい海の恐さを・・・」というのがあったが、21世紀に入った今は間違いなく新しい時代である。新しい時代は新しい人間にしか切り開けないと思える。私も25年間バッグ業界の中で仕事をしてきたが、もはや私は古い人間だと思っている。鞄屋という仕事を通して色々な経験をさせていただき、本当に多くのことを学ばせていただいた。しかし、過去の経験や学びはもはや通用しないであろうと思っている。逆にその経験が足を引っ張っていると思える。
 今や、バッグ業界全体も、大きな若返りが必要であると思う。若い人たちや他業種からの人々が、過去にとらわれず活躍できることが重要であると思う。それによって新しいバッグ業界・バッグ市場が誕生してくると思う。
 「新しき者たちよ、来たれ!そして、古き者たちは新しき者たちにバトンタッチせよ!」これが私が最後に言いたいことである(了)。


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